第12回日独ジョイントレクチャー開催報告「近代日本仏教の西洋的起源―19世紀における日欧交流史の一側面」(10/26・京都)


2018年10月26日に、第12回日独ジョイントレクチャー「近代日本仏教の西洋的起源―19世紀における日欧交流史の一側面」を開催しました。講演者にハイデルベルク大学東アジア研究センター日本学科のハンス・マーティン・クレーマ教授、解説に京都大学文学研究科の谷川穣准教授を迎え、学内外から40名以上の参加者が集う盛況な研究会となりました。

クレーマ教授の発表は、明治期の仏教における重要人物である島地黙雷、南条文雄に焦点を当て、「信仰としての宗教」や「宗教と自然科学の分離」といった西洋由来の概念が彼らを経由して日本の宗教思想に与えた影響を解明する試みでした。

クレーマ教授は、ドイツに留学した島地がベルリンの自由主義神学者エミル=グスタブ・リスコらに大きく影響を受けつつも、帰国後に「政教分離」、「信教の自由」を強く主張する中で、当時の日本社会特有の事情に適応させた点が注目に値すると主張。
その例として、島地が「信仰としての宗教」の概念を戦略的に利用し、それに基づいた議論を通じて、神道の下に置かれていた仏教の独立性を取り戻そうとした背景を紹介しました。

それに対して南条の活動については、オクスフォードに留学し、東洋学者マックス・ミュラーの元で梵語やインド仏教の研究に没頭、その後に主に中国・日本仏教大系の編集者として活躍し、代表作である「大明三藏聖教目録」(”Nanjo Catalogue”)が現在でも世界中の東洋学者に重宝され続けていることを紹介しました。

このような発表に対して、谷川准教授はさらにいくつかの具体的な「問い」を交えて解説を加えました。
南条との出会いにより、ミュラーらの仏教観はどのように変化したのか?
「敵」でありながら日本仏教の改革の手本にもなりうるキリスト教に対して、島地はどのよう態度をとったのか?
留学僧侶たちの活躍は、イギリスやドイツにおける「日本の宗教」の見方にどのような影響をもたらしたのか?
東本願寺と西本願寺の違いは、西洋的な宗教の概念の受け入れ方にも反映されるか?

これらの論点は、引き続き聴衆を巻き込んだ議論へと発展しました。
同時に、異文化・宗教を横断する視点の研究において、未解明の課題がまだ多く残ることが明らかになりました。

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クレーマ教授による講演 谷川准教授による解説 質疑応答の様子

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